【戦国小町苦労譚】徳川家康は布団で寝れない?

今では普通に使われている布団ですが、布団の歴史は浅く庶民に普及したのは明治維新以降になります。

布団自体が存在していなかった為、貴族や武将、庶民という階級の差なく、素材の違いはあれ、床に転がって休んでいました。

そんな布団を戦国時代に開発してしまった静子ですが、一緒に開発していた徳川家康は快適すぎる布団をどう受け入れるのか困惑しているようです。

でわ、何故困惑しているのか調べてみました。

徳川家康は睡眠時間を大事にしている?

戦国時代の庶民の平均寿命は30歳程度しかなく、武士でも40歳をちょっと超えるぐらいしか生きられませんでした。

寿命が短いからこそ、知識がなくとも現代の人よりも健康に気を付けていたと言えます。

徳川家康も健康に気を付けていたその一人です。

家康は粗食を常とし、生成管理上火の通ってないものを口にはせず、肉も程々に食べ、体をよく動かすよう心掛け、香を焚いて精神を落ち着かせ、薬学に精通し、酒は百薬の長として飲むという程の健康マニアでした。

そんな家康だからこそ、睡眠をとることの大切さが分かっていたのかもしれません。

徳川家康の年表

江戸幕府を開いた事で有名な徳川家康の軌跡を簡単にまとめてみました。

  • 1542年 誕生
  • 1548年 織田家の人質となる(織田家に誘拐される)
  • 1549年 今川氏の人質となる
  • 1557年 元服 今川義元の姪、瀬名を娶る
  • 1558年 初陣
  • 1559年 信康誕生
  • 1560年 亀姫誕生
  • 1561年 今川義元が桶狭間の戦いで信長に討ち取られたことにより人質生活が終了・藤波畷の戦い
  • 1562年 信長と同盟を組む
  • 1563年 元康から家康に改名
  • 1566年 三河国を統一、徳川に改名
  • 1570年 姉川の戦いに参戦、浜松城を建築し本城とする
  • 1572年 一言坂、二俣城、三方ヶ原の戦い
  • 1575年 長篠の戦い、織田・家康連合VS武田勝康 二俣城奪還
  • 1579年 武田家への内通疑惑により築山殿(瀬名姫)と信康を切腹に処する
  • 1581年 高天神城奪還
  • 1584年 小牧・長久手の戦い
  • 1590年 江戸城に入場
  • 1600年 関ヶ原の戦い
  • 1603年 征夷大将軍となる
  • 1614年 大阪冬の陣
  • 1615年 大坂夏の陣
  • 1616年 鯛の天ぷらにあたって死亡(諸説ある)

徳川家康の睡眠スケジュール

家康の一日を記した記録によると朝の6時に起床して午後の9時には寝所に退いたとあります。

何と家康は一日9時間も寝ていたのです。

現代人では午後の9時に寝るという事は早朝早くに起きなければならないとか、特殊な条件でなければ中々無い事ですが、電気も無く、娯楽も特にない状態で、真っ暗闇の中に居なければならなくなったのなら、もう寝るしかなかったのかもしれません。

早く寝る割に日の出と共に起きていないのは、余り早く起きると朝食の支度をする係の人がより早く起きなくてはならなくなるからだと思われます。

それに、床で寝ると思った以上に疲れが取れていないからかもしれません。

まぁ、これは平時の城での過ごし方で、戦中はそうとも限らなかったようです。

徳川家康の行軍中の睡眠方法

戦への行軍中の睡眠は軽視されていて、武将クラスになれば、簡単な囲いを建ててその中で寝れたかもしれませんが、何分戦中なので、いつ奇襲されるか分からない状態故に熟睡することは許されませんでした。

目的の合戦場や敵の城の前に着いた後は、陣城という司令部を建設して幹部クラスの武将たちの寝所としても使われていましたが、夜襲などをより警戒しなくてはならないので、更に熟睡が困難になります。

それは有名武将である徳川家康も例外なく含まれました。

特に大将首は、自分が死んでしまったら戦に敗北することになるので、熟睡は非常に難しかったと思われます。

とある武将は軍行中の暗殺を心配し過ぎて、自分の寝る場所に鉄の板を引いて床からの攻撃に備えて寝ていたと言われる程、警戒しなくてはならないものでした。

戦国時代の布団事情

静子と綿花の共同開発をしていた時期は、戦乱の真っただ中で家康は三河国を平定したばかりでゆっくり休んでいる暇がなかった頃です。

戦国時代の布団は基本、床にごろ寝で、上位の武将ともなれば寝る用の畳があるかもしれませんが、床にそのまま寝るしかなく、そして、戦国武将は戦に頻繁に行かなければならなかったので、ある程度の緊張感のある睡眠が求められていたのかもしれません。

静子の作った布団でリラックスした状態に慣れてしまうと、行軍中の睡眠の質の悪さに耐えれなくなってしまいそうですので、家康は静子が作った布団の心地よさが戦国武将的観点から見て、とても危険に感じられたのでしょう。

戦国小町苦労譚の家康は布団で寝れない?のまとめ

戦国時代に綿花の栽培はされていませんでしたが、静子の知識により綿花の栽培が始まり、その有効的な使い方が知れ渡れば、布団だけではなく衣服の種類も格段増え生活水準も上がるでしょう。

家康は大坂夏の陣が終わって日本を本格的に平定した後、畳の上で亡くなっています。

この作品では織田信長に天下を取らせるのが目的になっているところがあるので、徳川家康が日本を平定して畳の上で亡くなれるかどうかは分かりませんが、布団などの日用品が出回って生活水準があがれば、誰が天下を取ろうと平穏な日々が送れるように思えます。

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