【戦国小町苦労譚-農耕戯画-】椎茸が大量にあれば戦国時代には城が買える!

今でこそ庶民の味の椎茸ですが、平安時代から近代までは高級食品として名高い食べ物でした。

戦国時代では、椎茸15貫目で城が買えるとか買えないとか。

そんな高級食品をあっさり栽培してしまった静子がいかに凄いことをしてしまったのか、椎茸の高級さに迫っていきたいと思います。

戦国時代の椎茸の謎に迫る

静子が生まれた現代では当たり前に食べられている椎茸ですが、タイムスリップ先の戦国時代でどのように栽培したのでしょうか?

椎茸が生える環境と栽培方法を見ていきましょう。

椎茸が育つ環境

シイタケ栽培に適した場所を探すため山道を歩く彩ちゃん

引用元:戦国小町苦労譚-農耕戯画-

野生の椎茸は基本的に枯れ木にしか生息できません

椎茸畑に沢山の丸太が立て掛けられているのはその為です。

そして、現代ではガスや電気が普及して、火を熾すというような事はありませんが、明治以前は森から薪を拾ってきたりして燃料を確保していました。

という事は、人が生活する圏内の枯れ木は、薪として人間が持ち去ってしまい、椎茸が生息できる場所が近くに無くなるという事になります。

更に、椎茸はただ枯れ木があるだけではなく、広葉樹が群生している肥沃な土地にある枯れ木を好んで生えます。

そして、枯れ木に生えるという事は、林業などで山の手入れがされてない場所、道なき道を突き進んでやっと極まれに野生の椎茸に出会えるレベルなのです。

椎茸の栽培

山中にある椎茸畑に驚く彩ちゃん

引用元:戦国小町苦労譚-農耕戯画-

椎茸は高価だったので当然栽培をしてみようと思う人はかなり昔からいました。

椎茸栽培は400年ぐらい前から始まったとされますが、その歴史には諸説あります。

  1. 豊後の炭焼き職人の源兵衛が始めたという豊後説
  2. 豊後、岡藩主の中川家の資料に、椎茸栽培を始めるために伊豆、三島から茸職人の駒右衛門を招いたとする、伊豆説
  3. 中国から伝来されたとされる中国伝来説

と、分かれており記録的には伊豆説が一番古い年代になっていますが、広く広まっているのは豊後説になります。

中国伝来説にいたっては記録が残っていません。

どの説が正しかったとしても、当時の栽培方法は、原木に傷を付けて、そこに椎茸の菌が貼り付いて椎茸が生えてくるのを待つ、というものだったので、完全なる栽培とは少し違いました。

椎茸が生えるか生えないかは運次第なので、生えれば一財産得られますが、山林を買ったはいいけれど椎茸が全く生えてこないで破産するという方が沢山いたようです。

静子の作った椎茸畑は、その原始的な栽培方法から進化した、原木に椎茸の菌を打ち込んだ木片を埋め込み、一年ぐらい寝かしてから山林に並べたものだと思われます。

天ぷらや茶碗蒸しならともかく、一から椎茸を栽培するのはこんなにも苦労するんですね。

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美味しい

椎茸の価値

椎茸15貫目(約56kg)で城が買える事を教えてくれる彩ちゃん

引用元:戦国小町苦労譚-農耕戯画-

ただでさえ貴重な椎茸ですが中国で日本産の干し椎茸が高く評価され、中国との貿易の目玉商品の一つでもありました。

滅多に見つからない上にそんな事になっているとなると、国内での流通はほぼ皆無と言っても過言ではないですし、さらに各武将たちが行う接待に出てくる料理にも必需品となっていました。

接待に使うという事は、政治に大きな影響を及ぼすという事に繋がり、滅多に手に入らない椎茸を持ってきたものには多額の金額が支払われたのです。

その一攫千金的な椎茸に夢を乗せて、椎茸15貫で城が買えると言われてきたのではないでしょうか。

椎茸畑を見た彩ちゃんが、物凄く驚いていたのはそんな貴重で高価なものが栽培されていたからなんですね。

椎茸15貫目の量

籠一杯の椎茸と彩ちゃんを背負う静子

引用元:戦国小町苦労譚-農耕戯画-

では次に、椎茸15貫目が具体的にどれくらいの量なのかといいますと、

  • 1貫目:3.75kg
  • 15貫目:56.25kg
  • 椎茸の一般的重さ:15g
  • 15貫目に必要な椎茸の数:3,750個

意外と数が必要でした。

椎茸とお城の値段

織田信長所有の一般的な平城

引用元:戦国小町苦労譚-農耕戯画-

次に戦国時代の貨幣の価値を見ていきましょう。

戦国時代のお城

戦国時代前期のお城は、石垣があって天守閣があるような姫路城や熊本城の様なお城ではなく、敵を防ぐための防衛施設を指しています。

織田信長が安土城を建設するまでは、天守というものは無く、山の傾斜を活かしたり、柵で囲いをして敵の侵入拒んだりを、要所を見渡せる櫓を設置してあるような城というよりも砦といった様なものでした。

ですから、城が買えるといっても当時にしては凄いものですが、現代の人が連想する城の価格よりだいぶ安くなっているんです。

参考までに、秀吉が信長から清須城の修復工事を請け負う際に提示した金額と、一般的な足軽の年収を下記に書いておきます。

  • 清須城のお堀の修復費用:300貫文(3600万~4500万程度)
  • 1貫文:1,000文
  • 1文:120円~150円位
  • 足軽の年収:1.5貫文前後(20万~30万程度)

椎茸の価格

戦国時代の椎茸の値段は「時価」なので値段をはっきりと断定することは難しいのですが、足軽の年収が20~30万程度な事を踏まえて、椎茸1つで数年遊んで暮らせる事を考えると、1個の値段は50程度ではなかったのかと推測します。

この推測が正しかった場合、15貫目に必要な数が3,750個なので、「3,750×500,000=1,875,000,000」椎茸換算で考えると、戦国時代のお城の値段は18億7千5百万位で買えたということになりますね。

幕末に建てられた松前城は15万両掛かったとされていて、1両はおよそ4万円程度なので60億円位で建ちました。

戦国時代の方が人件費が安かったのと、その様式の違いから凡そ40億円ほど安く買い求められるのも妥当な線かと思います。

ただ静子が椎茸で巨万の富を得ても結婚できるのかどうか、になるとそれは別な話のようです。

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戦国時代の椎茸の価値や栽培法のまとめ

戦国時代の椎茸について色々調べてみました。

椎茸の値段以上に足軽の年収が予想より安かったのが驚きです。そりゃ、椎茸で一攫千金を狙う人が続出するのもうなずける気がします。

そんな椎茸を沢山栽培している静子は、信長にいったいどれ位の富を与えてしまったのか?それはきっと、天文学的数字になるのではないかと思います。軍資金を沢山得た信長が日本統一をするのは、夢ではない気がします。

余談ですが、椎茸栽培は20世紀になって確立された技術で、昭和30年ぐらいまで椎茸の方が松茸よりも高かったのでした。

現在も戦国時代程でないですが、高級椎茸というものが存在するらしいので、一度食されてみるのもいいかもしれません。