【戦国小町苦労譚】天ぷら・茶碗蒸し・カレー・時空を超えた料理たち

戦国小町苦労譚-農耕戯画-は、静子が美味しそうな食べ物を作ってくれる、いわば飯テロ漫画でもあります。

揚げたての天ぷら、出来立ての茶碗蒸し、考えただけで涎が出そうです。

そんな料理たちも静子と共にしっかり時空を超えているので、その紹介をしていきたいと思います。

戦国小町苦労譚の時空を超えた料理たち

戦国武将に食べてもらう事が多いためか、静子の作る料理は和食に寄っています。

和食と言っても大昔からすでに完成されたものではなく、時代と共に変化をしてきたもの、外国の料理が変化したもの、と多種多様な進化を遂げて、現代の形になりました。

天ぷら

天ぷらは誰もが知っている日本料理の一つですが、戦国時代では日本料理としてまだ認識されていません

天ぷらの歴史は古く、二つの種類があります。

一つは奈良時代に中国から伝来した米粉を使ったもの、もう一つは16世紀にポルトガルの宣教師によって伝えられた小麦粉を使った西洋式のものです。

この16世紀に伝わっていた西洋天ぷらが今の天ぷらの原型とされていますが、現代の天ぷらとは大きく異なり、

  • 小麦粉
  • 砂糖

を混ぜたフリッターのようなしっかりと衣に味のついた物でした。

それが現代の形とかわならい物になったのは江戸時代前期になります。

油の生産量が増え、今までは煮物、蒸し物、焼き物ぐらいしかできなかった調理が飛躍的に進化し、料理の幅が広がると天ぷらは一気に庶民に広まりました。

静子が作った天ぷらは現代風のものなのでざっと100年ほど時空を超えてしまいましたね。

戦国時代を生きてきた信長と濃姫は、さっぱりした物しか食べてこなかったでしょうから、かなり刺激が強いのではないかと思われます。

天ぷらというコッテリとアッサリを融合したような魅惑的な食べ物をいきなり食べて中毒にならないか心配です。

ちなみに天ぷら職人は10年修業してやっと一人前と言われているそうで、静子の天ぷらを揚げる腕前が気になります。

茶碗蒸し

茶碗蒸しの歴史を探る前に、茶碗蒸しの美味しい作り方をまず理解して頂きたいです。

茶碗蒸しは溶き卵と出汁を混ぜ合わせ、鶏肉、銀杏、シイタケなどをいれて蒸しあげた物なのですが、この溶き卵と出汁がいかに上手く混ざりあっているかが、美味しい茶碗蒸しを作る為の第一関門になります。

卵と出汁の比率は1:3でなければならないですし、卵も泡が立たないように優しく溶かないとプルプルの茶碗蒸しにはなりません

そして、混ぜ合わせた後に裏ごしをすることで滑らかな口当たりになり、更に火入れにも気を使わないとうまく固まらなかったり、逆に硬くなりすぎたりと茶碗蒸しは美味しく作るのが非常に難しい食べ物なのです。

そんな茶碗蒸しを美味しく作れる静子は非常に料理が上手いと言えるでしょう。

美味しく作るのが難しい茶碗蒸しが、初めて歴史に登場するのは江戸時代、1689年頃。幕府は長崎の出島で唐人(中国人)に密貿易をさせない為に、一か所に収容していたのですが、そこで来客を持て成すための卓袱料理(しっぽくりょうり)というものが伝えられ、それが茶碗蒸しのルーツになったとされています。

それから、およそ200年後、1866年に伊予松山の藩士、吉田宗吉信武という方が長崎で茶碗蒸しを食べ、感動のあまり「吉宗(よっそう)」という茶碗蒸し専門店を開業。

最初は卵とじ(から蒸し)だったものが、時代をへて出汁の量が増え現在の形になったと言われていて、現代の形になったのは1866年以降と推測しますと、茶碗蒸しは200年ほどさかのぼってしまったようです。

豆腐のように柔らかく滑らかなのに、しっかりと味のついている茶碗蒸しという未知の料理に、最初は怪しんでいた近衛前久のお付きの方の、一口食べた後の食レポからその感動具合が垣間見れますね。

そして静子の作った茶碗蒸しには、イクラが付いてきます。その触感はまさに未知との遭遇だったのではないでしょうか。

イクラ

ここでイクラの歴史について簡単に説明しますと、サケの卵は平安時代、醍醐天皇の延喜式に内子鮭として記録が残っているので、かなり古くから貴族の間では食べられていたようですが、どのような加工を施していたかまでは定かではありません。

そして、江戸時代の記録をみますと、塩漬けにした筋子をほぐして食べていたと残っていますので、現代の様な生のイクラで食していたわけではないようです。

冷蔵庫もない時代に生のイクラを食べる事は難しかったはずですので、平安時代の貴族の方が食べていた鮭の卵は筋子に近いものだったと推測できます。

カレー

漫画の方にはまだ出てきておりませんが、原作にカレーが登場したので、原作の内容は控えつつご紹介したいと思います。

現在、ご家庭で食べられるような一般的なカレーは明治時代の初期にイギリスから伝わってきて、18世紀にインドからイギリスにカレーが伝わると19世紀に現在のカレー粉が開発されました。

それが日本に伝わり、米に具沢山の汁をかけて食べる丼ものとして定着した物が、日本のカレーになります。

当然、静子が今いる戦国時代にはカレーのルーなど存在しておらず、一からスパイスを炒め、小麦粉と油でルーを作らなければなりません。

スパイスの配合も全部自分で調節しないといけませんので、作るのに大変な労力を必要とします。

それを作ってしまう静子は本当に凄い。

カレーは200年ほど時空を超えてしまいましたが、スパイシーな香りに戦国時代の人はどのような反応を示したのか、今後マンガ化されるのがい待ち遠しいです。

戦国小町苦労譚の天ぷら・茶碗蒸し・カレーのまとめ

天ぷら、茶碗蒸し、カレーと時空を超えた料理たちを紹介してみました。

皆作るのに一定の技術やセンスが必要なばかりなので、静子の凄さが思い知らされたのではないでしょうか?

戦国時代の食事事情はあまりいいものではなかったので、現代の料理を食べたお偉いさん達は、完全に静子に胃袋を掴まれてしまったようです。

この先も静子は美味しい料理を振舞ってくれると思うので、飯テロを受けたのならそのまま静子が作った料理を再現して食べてみるのもいいかもしれませんね。

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1570年、姉川の戦いの後、三好三人衆や石山本願寺が挙兵、それに合わせて浅井・朝倉連合軍と比叡山延暦寺の勢力が結託して織田軍に向かって進軍する。この後、史実では戦死するはずの森可成を救うべく静子は宇佐山に布陣する!