人類存続を懸けた「神VS人間」の第三試合に登場するのが佐々木小次郎です。
歴史上では謎が多い佐々木小次郎ですが、今作はそんなことは関係なくなるくらいに「これが史実だ」と思わせてくれる内容に。
ということで今回は本編の展開含め終末のワルキューレ佐々木小次郎の達人技の数々を紹介したいと思います。
史上最強の敗者(ルーザー)佐々木小次郎
- 登場話:3巻第13話「全盛期」~5巻第20話「正義vs悪」
- ワルキューレ:フリスト(意味:震える者 轟かす者)
- 対戦相手:ポセイドン
佐々木小次郎とは?
佐々木小次郎と聞けば、恐らく大多数の方は宮本武蔵と戦った剣豪と思い浮かべるでしょう。その次に続くのがその戦いの名称「巌流島の戦い」かと、私は考えています。
実のところ佐々木小次郎は非常に謎が多く、歴史上で語られてきた事も創作が混ざっていたりと正確な情報はかなり少ないようです。ちなみに私も佐々木小次郎=宮本武蔵と戦った人物と以前までは思っていましたが、終末のワルキューレを読んだ後は佐々木小次郎=ポセイドンと戦った人物と思えるほどになってしまいました。
海のゼウスことポセイドンとは?
本作のポセイドンは「最恐神」と呼ばれており、全知全能の神ゼウスの兄に当たる存在。
他の神々でさえ恐れるほどの存在であり、戦闘変態と称されるゼウスの兄ですから、この時点で充分にその恐ろしさや強さが伺えます。武器は海の神らしくトライデントを使用。
神VS人類第三試合
ついにラグナロク第三試合が開始され、ここから佐々木小次郎の達人技の数々が繰り広げられます。
佐々木小次郎登場!没後も剣の道を歩む
ここまで連続での敗北に焦るワルキューレのブリュンヒルデの元に、次の相手はポセイドンであるという知らせが入ります。その隣に突然現れ「吾が征こう」と出場宣言をしたのが佐々木小次郎。
しかし、全盛期には程遠い老いた風貌で現れた小次郎に対し、居合わせたワルキューレ達は困惑し、その瞬間にテーブルから落下したポットを刀の鞘で、中身をこぼさずに救い上げ、小次郎が語り始めます。
『天に召されてから四百数十年余ー吾はたゆまず己が剣を磨き続けてきた・・・岩流の進化 未だ止まずすなわち今刻(いま)が小次郎の全盛期なり』
つまり小次郎の全盛期は生前にあったのではなく、戦いの為に呼び出されたこの瞬間ということだったのです。
このシーンで一読者の私は「今回こそいけるのではないか」と期待が高まるほどでした。そして、天に召されてからも修行をしていたという点はこの後戦いの場へ入場した際に観客として居合わせた宮本武蔵に、「佐々木小次郎こそ天下無双也!!」と言わしめる時点で偽りではないと思うはずです。
どうやって没後に修行したんだという疑問が読んだ当初はありましたが、先にお伝えしますと、読み進めるにつれてそんなことはどうでもよくなります。それほどにまでに、素敵なキャラクターとなっているのでご安心を。
同じ意味でジャック・ザ・リッパーも凄いです。
両者が入場すると会場の空気が一変
ついに両者が入場しますが、ポセイドンは大波を割り登場し、小次郎は小さな木船で静かに海面を越え登場。この対比が個人的にはとても素晴らしい表現ですね。
そして観客席には生前に剣を交えた面々が集まっており、武蔵こそが最強だと口々に唱えていますが、当の本人である宮本武蔵は目を瞑り、腕を組んだまま無反応を貫きます。ちなみに各試合の登場人物が観客席に集まっているのもこの作品の魅力だと思いますが、脱線してしまうので割愛。
佐々木小次郎が剣を構えた瞬間に、ポセイドンによって荒れていた波が凪ぎ始めます。この行動一つで、会場の空気は一変するのです。
やはり先ほどのすなわち今刻(いま)が小次郎の全盛期なりというのも決して嘘ではなく、むしろ観客である他の剣豪達が瞬間で納得してしまうほどの境地に達していたと考えられますので、この時点で人類の勝利への期待は一段と高まっています。
この異様に静まり返った空気のまま、戦いのゴングが鳴り響くのです。
試合開始も両者一向に動かず
前述したとおりここから試合へ突入しますが、どちらも一向に動きません。この状況に小次郎は汗だくになりますが、まだ微動だにせず。
どういう状況なのかはヘルメス神が「ポセイドンは間合いに入れば叩く」「小次郎は仕掛けている、頭の中で」と語っています。
実は小次郎は試合開始からイメージの中でポセイドンへの一手を探っていたのですが、これはまさしく達人技と思いきや、なんと18回!小次郎は頭の中で18回ポセイドンに殺されてたのです。
色々な格闘物の漫画でイメージと戦うといったシーンがあるかと思いますが、個人の感覚としては大体が時間をかけ対象1体と1回戦うような表現になっているかと思います。ですが、小次郎は試合開始からの短時間で18回ものイメージを繰り返していたわけですし、ましてや相手は今までの経験にはない神が相手ですからこれは極め切った達人技というほかないはずです。
しかし、ここでどうやったって死ぬとみた小次郎は「よっこいしょ・・・と」戦いの場で、しかも戦闘中にあぐらをかいて座り込み、「死にたくねぇなあ」と言い放ちます。色々踏まえたうえで座り込むのも、ある意味達人技かもしれません。
その生涯一度も勝利したことがない男こそ佐々木小次郎
『富田勢源の道場でその少年はお荷物と目されていた。』
上記は昔の小次郎を指す本編での一文で、ここから小次郎の過去編に入っていきます。
道場で富田景勝を相手に最後まで戦わずに参りましたと負けを認めた小次郎は森に入り、自然の中に師を求めますが、実はこれは敗北の度に、勝つ術を探す小次郎の独学なのです。
かくして半年後に道場へ戻った際には富田景勝に対し「超えるのに頭の中で146回の立合が必要でした」と言い放っておりすでに達人の片鱗が見えてきます。
数年後に人里離れた場所で住む小次郎をかつての師が訪ねてきた際には、小屋の中の柱や壁についた無数の刀の跡に師が凄まじき修練の日々を感じ取るのです。ちなみにこの方はこの時点で視力を失っています。
小次郎の発言からしてこの時4年9か月の修練で、数々の剣豪にすでに勝利していたようです。この後に数百年鍛錬を続けてきているわけですから、イメージで神と立ち会えるのも割と納得できる感じになってきたかと思いますが、いかがでしょうか。
その後は旅に出て、敗ける度に勝ち方を考えるということを繰り返しつづけたと記載されています。つまり一度も勝利したことがないとはいっても、頭の中では繰り返し立ち合い越えてきて、遂にはポセイドンと戦うわけですから、これにはなに一つの間違いはなかったということなのでしょう。
試合を動かす佐々木小次郎の一手目とは
ここから話は会場へ戻ります。
ついに小次郎が動き、繰り出したのは燕返し。これは佐々木小次郎とセットで語られるなかなか有名な技ですね。備前長光を振り下ろしたところから、急速に切り上げる技です。通常よりも長い刀でこれをやるわけですから、達人技と言わざるを得ません。
なんとこの後ポセイドンが目を合わせ自ら動いて間合いを詰める、という今までと全く真逆の行動をとり始めます。
それほどまでに凄まじい一撃であったことが分かりますね。
このあと小次郎は傷を負いつつも、手を読み熾烈な戦いを続けます。
備前長光が折られ窮地に立たされる小次郎
その後も戦いは続くものの、ポセイドンの一手により小次郎の得物である備前長光が折られますが、小次郎自身が諦めていません。
「参ったと言いてえところだが今回はそうもいかねえんだ」
敗け続けた男はここで巌流島の戦いを思い起こします。
ここのシーンがすごくいいのですが脱線してしまうため割愛。
折れた剣を拾い上げ、刀身を血が出る程握りしめた時に神器再錬が起こり、ワルキューレのフリストが2つの名を持っているが故に二刀流が錬成されるのです。
ここからの流派は二天岩流となります。
二天一流というのが元々存在しますが、これは宮本武蔵が用いていた流派だそうで、そして佐々木小次郎といえば岩流の人間です。つまり宮本武蔵の型を基にした戦闘スタイルということなのでしょう。これはほぼ完全なイメージの中で戦うことができる佐々木小次郎が、没後も宮本武蔵と戦い続けた結果、使えることができたものだと言えるはずです。さらには他の剣豪達の技も含まれており、まさしく達人技、ほぼ神業に近いといえる仕上がりになっています。
ちなみにこれを見た宮本武蔵は客席で号泣してるシーンがあり、回想から含めて二人の熱い関係性がよく表れている場面になっています。
森羅万象を読む佐々木小次郎
二天岩流を用いて、遂にポセイドンを傷だらけにすることに成功し、人類の勢いが高まりますが、ここでポセイドンの本気に再度圧倒されることになります。
しかし、持ち直した後にここでイメージで戦うことの集大成、ともいえるほどの能力を小次郎が発揮。動きや振動など森羅万象を読み始めます。これにより神の攻撃が一手も当たることなく、しかも先読みでかわし続けゼロ距離へ到達するという達人技どころか神業を見せてくれるのです。
まもなくポセイドンの両腕を切り落とし、体を両断し決着がつき、佐々木小次郎の勝利、これにより人類はついに1勝を手にしたのです。
まとめ
結果は佐々木小次郎の勝利となった第三試合でした。勝利後の「勝つってのはなかなかいい気分だねぇ」この一言が最高にかっこいいです。
人に教わる武芸がどうこうというよりも、独学による試行錯誤でついには神に勝てるほどの能力を得ていた佐々木小次郎でした。人に納得されなくても自分が正しいと思ったことを続けるというのは非常に素晴らしいことですね。
史実では正確なことはほとんど書かれていないようですし、これを機に皆様も佐々木小次郎はポセイドンに勝った男と認識を改めてみてはいかがでしょうか。私は本当にこの戦いがかっこよかったと思うので、一度呼んだことがある人も、まだ読んだことのない人にも自信をもっておススメできる作品であり大好きなシーンでもあります。