人類はすでに数えきれないほどの世代を重ねてここまでの歴史を作ってきましたが、旧約聖書においてはその祖となる人物とされるアダムが神vs人類第二試合に登場。
これがなかなかの名勝負でしたので今回はそちらをご紹介します。
最も神を憎む全人類の始祖アダム
- 登場話:2巻第7話「File No.00000000001」~3巻第13話「全盛期」
- ワルキューレ:レギンレイヴ(意味:神々の残された者)
- 対戦相手:ゼウス
アダムとは?
アダムは旧約聖書において神が一番初めに作り出した人間とされています。ここまでは旧約聖書の内容を知らなくても聞いたことがある方は多いでしょう。
ちなみに私は無宗教な人間なのでそれ以上のことは正直あまり触れたことがありませんし、そのあたりの解釈は諸説あって下手な事を言えないような印象があり、ましてや聖書となれば神聖なものでしょうから今回に関しては元々がこうだというよりは、終末のワルキューレに書いてあることの中の物について触れていきます。
終末のワルキューレにおけるアダムは、神に作られた始めの人間であり、のちにイブとともにエデンを追放された過去を持ちます。その為、本作のリングアナウンサーのようなポジションにいるヘイムダルの言葉を借りれば、最も神を憎み神に一撃を入れる資格がこの漢には確かにある!という立ち位置で登場。
そして何よりガチンコで拳骨主義というのが終末のワルキューレにおけるアダムとなっております。
漢の中の漢アダムvs神の中の神ゼウス
アダムの対戦相手は全知全能の神ゼウスであることが入場時に発覚。
実は元々はインドの破壊と創造の神シヴァが出るはずだったのですがゼウスが裏で出番を入れ替えていた為、第二試合でまさかの登場となりました。
アダムの武器
終末のワルキューレといえば、ワルキューレと一つになることで神と戦うための神器を作り出す神器錬成(ヴェルンド)も一つの見所ですが、今回は何になったのか。
レギンレイヴの力を借りてアダムの得物となったのはメリケンサックであり、まさに拳骨主義にお誂え向きなものです。この武器としては予想外すぎる選択に会場中が驚きを隠せない中、アダムだけはこいつは良いやと言っているだけありもの凄く納得している様子。
ちなみにこの時の神器錬成のシーンだけなかなか芸術的なものになっています。
アダムがゼウスに繰り出した能力
試合が始まるや否や、ゼウスはアダムへ攻撃を開始。
目にも止まらぬ速さで打ち込まれるパンチは亜高速ジャブとよばれ、この連打から神の斧と呼ばれるローキックを繰り出すのですが、アダムはこれをすべて平然と躱し、直後に全く同じパンチ、同じ連撃、同じローキックを繰り出しゼウスへクリーンヒット。これこそがアダムの能力です。
旧約聖書では人類の起源において「神は自らのかたちを模し、人を創造された」となっている為、アダムは神のコピーであり、故に神の模倣が出来るというもので、作中ではその能力は神虚視(かみうつし)と呼ばれています。
ブリュンヒルデは「神の驕り高ぶりをそのまんまクソぶち返す」とこの技を解説。
その後にゼウスが繰り出した隠し玉の技さえも瞬間で模倣し、一度ゼウスをダウンさせるところまで追い込むほどの能力となっています。
神vs人類におけるアダムの真意
前述したようにアダムは一度ゼウスをダウンさせ、決着かのように見えるところまで行きますが、まだゼウスは立ち上がってきます。
一旦頭が180度後ろを向いているのに立ち上がって復活するのは神というより化け物の所業のような気はしますがここからがこの戦いの本番となるのでそこは置いておきましょう。ゼウスだって強いのです。
立ち上がったゼウスがアダムに、「おぬしのその目には神々への憎しみの炎は感じられぬ。おぬし本当のところなぜわしらとの戦いに出てきた」と問います。これに対しアダムの回答は「憎しみ、復讐どれもいらない。なぜはない。子供たちを守るのに理由なんているのかい」
はい、理由はいらないです。正直アダムかっこよすぎます。個人的にはこのシーンが素敵すぎて一旦思考停止しました。
ここまで言われてきた神への憎しみなんてものは始めからアダムの中には少しも無く、人類の存亡を懸けた闘いだからこそ守るものの為に闘っているという誰も予想していない動機でした。
つまり始めから全員が勘違いをしていたということですね。アダムが始祖であれば人類はみなアダムの子にあたりますし、その一言で宗教観なんてものは抜きにして客席の人類が一つになりアダムの勝利を祈り始めるこのシーンはもの凄く熱いです。
ゼウスvsアダム決着
追い込まれたゼウスは自らの体に負荷をかけ、より身体能力を上げ攻撃がより激しくなっていくのに対し、アダムはそれを難なく模倣し戦い続けますが、模倣を続け負荷のかかったアダムが突如出血。
同時にゼウスも無理な戦い方をしている為、互いにどちらが限界を先に迎えるかという我慢比べの局面へ突入。そしてアダムが視力を喪失しラッシュを食らいますが、それを逆手にゼウスの髪を鷲掴みにし、そこから最後の殴り合いに。最終的にゼウスがダウンしますが、アダムは既に死んでいて、むしろ殴り合っている最中で死んでいたことが語られます。
死してなおも守るべきものの為に拳を繰り出し続けていたことで、改めて神への恨みなんて言うのは誤解だったことを思い知らされながら、人類側の敗北という結果になりました。
まとめ
以上がアダムが第二試合で見せた闘いでした。
実は守るべきものの為に闘っていただけのアダムでしたが、そんなことができる人は果たしてどれほどいるのでしょうか。このアダムの闘いには人類も神も心を打たれる描写があり、ましてや人類が神に抗えると証明しさらに奮起する結果につながったように個人的には思えました。
ちなみにこの流れからこのあとの佐々木小次郎戦も素晴らしい戦いになっているので、是非読んでみてはいかがでしょうか。