我妻善逸の師匠である桑島慈悟郎は雷の呼吸の使い手で元鳴柱を務めた剣士です。
しかし、現在は柱を引退して育手として若手の育成に力を入れているようですが、なぜ彼は引退することになったのでしょうか。
そこで今回は、
- 桑島慈悟郎の若い頃と引退理由
- 桑島慈悟郎の強さや最強説
- 桑島慈悟郎の死亡・自害理由
- 桑島慈悟郎と我妻善逸の関係
等、作中であまり詳細が語られなかった桑島慈悟郎について紹介したいと思います。
桑島慈悟郎の若い頃は鳴柱
桑島慈悟郎は雷の呼吸を使う元鬼殺隊の剣士であり、現在は一戦を退いて若手の育成に尽力する育手の一人です。
作中での登場は善逸の回想ばかりですが、我妻善逸と獪岳の育手を務めており、鱗滝左近次の如く厳しい指導を2人に課していますが、根底には立派な剣士になって欲しいという想いがあります。
また、雷の呼吸の使い手が柱になった場合は「鳴柱」と呼称されるそうです。
桑島が引退した理由は足を失ったから
桑島は右足の膝か脛の辺りから欠損していますが、35歳の時に戦闘中片足を失った事で鳴柱を引退したと公式ファンブック「鬼殺隊見聞録」で明かされています。
筋肉の繊維や血管の一筋に至るまで空気を巡らせて力を足だけに溜め込む事で一息に爆発させる「全集中」を基本とする移動術において、やはり軸足を欠損すると本来の雷の呼吸の技を出せなくなるのでしょうか。
桑島の強さや最強と言われる理由
桑島が35歳で引退したと明かされた事により、柱の面々の年齢を考慮した場合歴代の柱も10代後半から20代後半まで務めていたと予想されます。
となると、桑島は平均的な10代後半で柱になったとしても15年以上は柱を務めたのではないでしょうか。
遊郭編で堕姫と妓夫太郎が22人もの柱を葬っている事や、産屋敷あまねがこれまで何度も鬼殺隊が崩壊しかけたと発言している為、桑島は過酷な時代を生き抜いた精鋭だったと考えられます。
もしかしたら偶々上弦の鬼に邂逅せず引退したのかもしれませんが、雷の呼吸の壱ノ型のみ使用できる善逸や、鬼化した状態ではあるものの凄まじい雷の呼吸を見せた獪岳の戦闘描写から見ても現役時代の桑島が彼等に劣るとは思えない為、かなり強かった筈です。
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したがって、35歳まで第一線で鬼と戦い続けて片足が欠損するまで生き残っていた事実からしても、当時の鬼殺隊の実力順では上位に位置する強さだったのではないでしょうか。
桑島の年齢は不明
桑島の年齢は本編や公式ファンブックでも明かされていませんが、彼を慕う善逸が「じいちゃん」と呼んでいる事や白髪に背丈の小ささといった特徴から50歳はゆうに超えていると予想出来ます。
大正時代の平均寿命が大体40代半ばとされているので、呼吸を正しく使える元剣士の桑島ならば60代であっても不思議ではないですよね。
桑島と鱗滝左近次の関係は不明
桑島と鱗滝は見た目からして年齢が近く、柱としての期間が被っている様に思えますが本編で接点は描かれていません。
ただ、鱗滝は47年前の江戸時代慶応の時代の剣士であった事実から10代半ばで鬼殺隊に入ったとしても現在は60代以上だと思われます。
もしかしたら鱗滝は桑島よりも一世代上の先輩にあたるかもしれませんが、鬼滅の刃最終話の未来編では、桑島と鱗滝と思しき老人の2人組が縁側で仲良く将棋を指しているので現役時代にも交流があったのかもしれませんね。
桑島慈悟郎の最期と死亡理由
桑島の死亡が語られたのは単行本17巻第144話の我妻善逸対獪岳の導入になります。
桑島の弟子である獪岳は任務先で上弦の壱・黒死牟と出会うと命惜しさに頭を下げて鬼となる事を受け入れると、雷の呼吸の継承権を持つ剣士が鬼となり上弦の陸の後任を務めた事実から桑島は切腹を選択し自決したと明かされました。
時期は不明ながら単行本16巻で善逸が悲鳴嶼行冥の下で柱稽古をしている最中にチュン太朗が手紙を運んでおり、内容を改めた善逸が激しい怒りの表情を浮かべているシーンがありますので、時期的には刀鍛冶の里編の最中か、柱稽古が始まる直前に自決していたかもしれません。
また、桑島は解釈をつける事もせず喉や心臓を突かずに長い時間一人で苦しみ亡くなりました。
なお、この事実を聞かされた獪岳は正しい評価を下さない人間が苦しんで死のうが知った事ではないと返答しており、元柱で師匠だった桑島に対し耄碌したと罵倒しています。
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桑島が善逸を見捨てなかった理由
桑島は獪岳と同じくらいに善逸の事も認めていましたが、それは善逸に剣士としての才能と優しい心があったからだと予想出来ます。
元下弦の鬼・響凱や異能の鬼が登場した回で判明した通り、善逸は眠っている(気絶している)間に限り剣士としての実力が遺憾なく発揮される変わった体質である他、自分自身の強さに気付いていない剣士です。
桑島は借金まみれになった善逸を助けて弟子にした後、いつ善逸の体質に気付いたのか分かりませんが、厳しい修業に耐え兼ねていつも泣きじゃくっては逃げ出す善逸に対し「落ち着け!!善逸、お前には才能が…」と説得する描写がお決まりでした。
また、雷の呼吸の壱ノ型しか習得出来なかった善逸に「いいんだ、善逸。お前はそれでいい。一つできれば万々歳だ。一つのことしかできないならそれを極め抜け、極限の極限まで磨け」と諭しており、泣いて逃げてもいいが諦めるなと辛抱強く教えています。
桑島は善逸のやさしさが強靭な刃になると信じている
小説「しあわせの花」の第2話では、善逸が小百合という少女の為に鬼を倒すエピソードが描かれていますが、その時にも善逸は鬼と対峙した恐怖から気絶した後に無意識に鬼を倒しています。
ただ、善逸は目が覚めたら鬼が斬られて死んでいた為、師匠の桑島が隠れて善逸を見守り倒してくれたのだと勘違いし勝手に感謝をしていますが、善逸が立ち去った後に姿を見せた桑島は「あの馬鹿弟子めが、お前には誰にも負けぬ才能があると言っているだろうに、何故、わかろうとせんのじゃ…」と嘆いているのです。
また、善逸が失恋し泣いている時には厳しい口調ながらも励ましの言葉を投げかけており、時に剣士とは何たるものかと説いています。
いい剣士とは強い剣士であると回答する善逸に対し、桑島は強い剣士に必要なものは「やさしさ」だと述べると、やさしさは人の心をどこまでも強靭にして誰かの為に振るう刃はこの世の何よりも強い刃だと教えました。
そして、桑島は善逸に「強靭な刃」を目指せと告げるのです。
いついかなる時も弱き者の心に寄り添い盾となる事は弱さを知る善逸だからこそ出来る事だと伝えると、善逸は桑島の柔らかな眼差しと注がれる言葉の数々に目頭が熱くなりました。
また、桑島は「お前がそのやさしさを失くさない限り、お前はきっといい剣士になれる」と豪語します。
桑島が善逸を見捨てないのは才能もさることながら優しい性格が誰かを守る事に長けた剣士に向いていると考えたからではないでしょうか。
善逸は桑島の誇り
善逸が鬼となった獪岳を討伐した単行本17巻第146話、重傷を負った善逸は夢の中で三途の川の対岸にいる桑島と再会しています。
その際、善逸は獪岳と仲良く出来ず止められなかった事を涙ながらに謝罪すると、桑島が生きている間に柱にもなれず育ててくれた恩返しも何一つ出来なかったと何度も謝りながら対岸に渡ろうとしますが、足元の彼岸花が絡まって河を渡れませんでした。
すると善逸の訴えに何も返事をせずただ黙って見ているだけだった桑島が善逸の名前を呼ぶと「お前は儂の誇りじゃ」と涙を流すのです。
桑島から発せられた言葉はそれっきりだったものの、息を吹き返して目覚めた善逸は涙を流しながら現実に戻ると、桑島から贈られた言葉を噛み締めるのでした。
- 桑島の教えを大事にしてくれた事
- 最後まで獪岳や桑島慈悟郎の事を思って涙する優しさや、獪岳を倒す為に新たに自分で技を編み出した事
- 弟弟子である我妻善逸が1人で兄弟子である獪岳を倒した事
桑島にとって善逸は以上三つの事を一人でやり遂げた自慢の弟子だったのでしょうか。
弟子の一人・獪岳は道を外してしまいましたが、善逸が「強靭な刃」を持って立派に剣士としての務めを果たしている姿を見て、桑島の心は救われたのかもしれませんね。
桑島慈悟郎の若い頃や強さの考察と死亡についてのまとめ
- 桑島慈悟郎は、雷の呼吸を使う元鳴柱
- 桑島慈悟郎は、35歳の時に戦闘中足を失った為、鳴柱を引退
- 桑島慈悟郎は、少なくとも15年以上柱を務めて35歳まで第一線で鬼と戦っていた為、当時の鬼殺隊では上位の強さだったと予想
- 桑島慈悟郎は、雷の呼吸の使い手から鬼を輩出した事で解釈もつけずに切腹し死亡した
- 我妻善逸が鬼化した兄弟子・獪岳を討伐した際、今際の際で善逸と桑島は再会し、桑島は「お前は儂の誇りじゃ」と涙を流して伝えた
- 桑島慈悟郎は、善逸に誰にも負けない才能がある事を信じていた
- 桑島慈悟郎は、善逸のやさしさが誰かの為に刃を振るう「強靭な刃」になると信じていた
桑島慈悟郎の登場シーンは我妻善逸の回想シーンばかりであり、殆ど詳細が語られない育手でしたが、善逸が桑島の事を慕っているのは少ない描写からでも伝わってきました。
その理由は、誰もが善逸に期待しない中でただ一人桑島だけは善逸の可能性や優しさに期待を膨らませ、厳しくも優しく孫の様に大切に育ててくれたからであり、多くの言葉を投げかけてくれたからではないでしょうか。
その為、桑島は善逸を語る上では欠かせない重要人物でした。