映画もアニメも大人気のマンガ、鬼滅の刃では我妻善逸の育手として桑島慈悟郎(くわじまじごろう)という人物が登場しますが、どんな人物なのでしょうか。
- 桑島慈悟郎の若い頃は柱?最強説!
- 桑島慈悟郎の年齢
- 鱗滝左近次との関係は?
- 桑島慈悟郎、自害⁉最後の瞬間は?
- 桑島慈悟郎が残した名言
この5つについて紹介したいと思います。
目次
桑島慈悟郎の若い頃は柱?最強説!
引用元:鬼滅の刃
鬼滅の刃でメインキャラクターである我妻善逸(あがつまぜんいつ)の育手として登場する桑島慈悟郎は、かつて鳴柱として活躍したことのある剣士でしたが、作中では何度も我妻善逸の回想の中で登場する人物で、雷の呼吸の使い手です。
雷の呼吸はもともとは6つの型からなる技で、免許皆伝した者のみが教えることが出来る難しい呼吸の1つでもあります。
- 壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)
- 弐ノ型 稲魂(いなだま)
- 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)
- 肆ノ型 遠雷(えんらい)
- 伍ノ型 熱界雷(ねつかいらい)
- 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう)
桑島慈悟郎は雷の使い手として鬼殺隊で活躍し、柱にまで上り詰めた人物でもあります。
雷の呼吸の使い手は柱になると鳴柱と呼ばれ、桑島慈悟郎は鳴柱として活躍しますが、35歳の時に戦闘中に片足を失ってしまった事から鳴柱を引退。
現在の柱達の年齢を考えると桑島慈悟郎も20歳になる前から柱として活躍していたことが考えられるため、少なくとも柱として15年ほどは活躍していたのではないかと考えられます。
柱は強い鬼である十二鬼月と戦う事が多く、実際に上弦の鬼たちは柱を何人も葬ってきたと話すほど強い鬼たちがいる中で、15年以上も柱を続けることが出来ることを考えると、桑島慈悟郎は当時の柱の中でも実力者上位に位置していたことが考えられ、当時の柱の中では最強だったとも考えられます。
また、桑島慈悟郎は道で会った我妻善逸の才能を見抜き、わざわざ我妻善逸の借金を肩代わりしてまで弟子にするなど、剣士としてだけでなく、育てる側としても才能を持った人物です。
実際に弟子になった我妻善逸は、竈門炭治郎が強いと認め、さらに戦闘中はみんなに指揮を執ることが出来るなど才能があり、壱ノ型である霹靂一閃を極め、霹靂一閃を六連や八連と連ならせたり、霹靂一閃の弱点を克服しただけでなく、攻撃力をあげるなど1つしかできない技の強化をしたり、また最終的には7つ目の雷の呼吸の型である漆ノ型・火雷神(ほのいかづちのかみ)を編み出します。
桑島慈悟郎の年齢
作中での桑島慈悟郎は我妻善逸の育手として登場するので、見た目は老人で登場し、年齢は公開されていませんが、鬼殺隊の柱として35歳まで活躍した事は作中で明かされていて、また我妻善逸がじいちゃんと親しみを込めて呼ぶことから、我妻善逸にとっておじいちゃんほどの年齢だと考えると60歳以降の年齢なのではないかと考えられるのです。
そのことを踏まえると、その年齢で我妻善逸や獪岳(かいがく)に速さが基本である雷の呼吸を教えることが出来る桑島慈悟郎は相当凄腕の剣士だったことが伺えます。
鱗滝左近次との関係は?
また年齢で考えるなら、桑島慈悟郎は竈門炭治郎の育手である元水柱の鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)と同じ時期に柱だったのではないかという事も考えられます。
その理由としては、鱗滝左近次の顔はお面をかぶっていて、素顔は明かされていませんが、髪の色や話し方から見て、鱗滝左近次も50歳から60歳ほどの年齢だと考えられ、柱時代は桑島慈悟郎と鱗滝左近次は共にたくさんの鬼を倒してきた可能性もあるのです。
また、鬼滅の刃の最終話では生まれ変わった2人が仲良く将棋を指している所から、2人は鬼殺隊の隊士時代は仲の良い関係だった事も考えられます。
桑島慈悟郎が自害⁉最後の瞬間は?
引用元:鬼滅の刃
我妻善逸からは「じいちゃん」と呼ばれて親しまれていて、桑島慈悟郎は我妻善逸に師範と呼べと言いますが、その表情はじいちゃんと呼ばれて嬉しそうなほど、我妻善逸を可愛がっていました。
そんな桑島慈悟郎ですが、最後まで回想の中でしか登場しません。
なぜなら我妻善逸達が最終局面に受けて柱稽古をしている最中に、我妻善逸に手紙が届き、その内容は「桑島慈悟郎がかつての弟子で我妻善逸の兄弟子にあたる獪岳が鬼になった!という事で介錯も付けずに1人で自害した」という事実があるからでした。
介錯とは、自害する時にお腹を切るのですが、それだけではとても苦しむため、普通は首を切り落としてくれる人が立ち合うのです。
でも、桑島慈悟郎は自身の育てた弟子が鬼を倒すはずの鬼殺隊士であったにもかかわらず、人を食べる鬼となってしまった事に責任を感じ、自らの手で腹を切り、何時間も痛みに苦しんだ末に一生を終えたのでした。
桑島慈悟郎が残した名言
引用元:鬼滅の刃
桑島慈悟郎は弟子だった我妻善逸にたくさんの名言を残し、我妻善逸が成長していく上で大事な言葉がたくさんあります。
桑島慈悟郎が残した名言①
「一つのことしかできないならそれを極め抜け 極限の極限まで磨け
信じるんだ 地獄のような鍛錬に耐えた日々を お前は必ず報われる
極限まで叩き上げ 誰よりも強靭な刃になれ!」
桑島慈悟郎の弟子・我妻善逸は雷の呼吸の型を壱ノ型・霹靂一閃しか会得出来ていません。
雷の型は6つあり、たくさんある呼吸の中でも型の数が少ない方なのですが、我妻善逸はどんなに修行しても雷の呼吸の型の壱の型霹靂一閃しか会得できず、落ち込み逃げる我妻善逸にそれでいいと我妻善逸を認め、我妻善逸を励ましたのでした。
この言葉により我妻善逸は壱ノ型・霹靂一閃を極め、壱の型・霹靂一閃 六連、壱の型・霹靂一閃 八連、壱の型・霹靂一閃 神速と壱ノ型・霹靂一閃を極め進化させていき、十二鬼月を倒すうえで何度も活躍するのです。
桑島慈悟郎が残した名言②
「それらを認識してこそ本物の全集中なり」
人は本来、自分の身体の寸法や筋肉の1つ1つの形を把握しきれていないため、把握して筋繊維、血管まで全集中の呼吸で空気を巡らせて、足に貯めて技を繰り出し、雷の呼吸を会得する為に、桑島慈悟郎は弟子たちにこの言葉を何度も教えていました。
それを理解していた我妻善逸は見事、雷の呼吸の基本の壱の型を会得するのです。
そしてこの言葉を我妻善逸は竈門炭治郎に教えていて、そのことがあったからこそ竈門炭治郎は上弦の鬼である半天狗を追い詰め、倒すことに成功します。
桑島慈悟郎が残した名言③
「善逸、お前は儂の誇りじゃ」
桑島慈悟郎が弟子である獪岳が鬼になった事を知り、自害したことを悲しみ、獪岳に対して怒りを覚えた我妻善逸は、無限城の戦いで新たな上弦の陸として対面した獪岳を倒した時、亡くなった桑島慈悟郎と川を挟んで対面します。
その時に桑島慈悟郎が我妻善逸に対して伝えた言葉で、この言葉には、
- 自分の教えを大事にしてくれたこと
- 最後まで獪岳や桑島慈悟郎の事を思って涙する我妻善逸の優しさ、獪岳を倒す為に新たに自分で技を生み出していること
- 他の鬼殺隊士でなく、弟弟子である我妻善逸が1人で兄弟子である獪岳を倒したこと
など、複数の意味が含まれている可能性がある言葉です。
桑島慈悟郎が自害した最後の瞬間のまとめ
今回は桑島慈悟郎について、若い頃や年齢、最強説、鱗滝左近次との関係、最後の瞬間、自害の場面や名言集、鳴柱として活躍したことがある過去などを紹介しました。
桑島慈悟郎は我妻善逸の育てとして回想でしか登場しない人物ですが、我妻善逸の育てとして言葉だけでなく我妻善逸にとって家族のような特別な存在として最後まで心の支えとして登場する人物でもあり、我妻善逸が強く成長していく上で欠かせない人物となっています。


