【戦国小町苦労譚】足満おじさんの正体と本名に迫る

足満おじさんとは静子がまだ小学生の頃に刃物をもった状態で血だらけで山中に倒れていたという、極めて不審な人物で、しかも何故血だらけだったのかも、自分が何者かもわからないというオマケつきです。

意識が戻れば医療器具やテレビに怯えるという奇行をし、喋りかたも現代の言葉とかけ離れていて到底まともな人とは思えないような方でした。

今回はそんな足満おじさんの正体を暴いてみたいと思います。

足満おじさんのプロフィール

  • 名前:足満おじさん
  • 年齢:30歳(タイムトラベル時)
  • 生誕:1536年3月31日
  • 身長:推定175cm
  • 特技:剣術
  • 好きな物:静子、ビール、ウィンチェスターライフル

現代にいる間に沢山の書物を読み漁り、静子に引けを取らない博学者で、手先が器用で原作の方ではウィンチェスターM1873カービンの模造品を製作しています。

足満おじさんの本名

第三十五幕にしてやっと足満おじさんの名前が明かされました。

その本名は「足利左近衛中将参議従三位征夷大将軍源朝臣義輝

第一幕にも書かれている様に、この時代の偉い人たちの間では気軽にファーストネームで呼び合ったりしてはいならなかったので、肩書や位、家名で呼んでいたのです。

その為、この長さなんですね。

簡単に意味を説明すると、

足利 家名
左近衛中将 宮中の警備を管理する役職。
参議 朝廷組織の最高機関の太政官の役職の一つ
従三位 貴族社会の階級、30段階の上から6番目
征夷大将軍 天皇の軍事代行者として政務を執行する者
源朝臣 源の血筋
義輝 名前

となります。(簡単な説明なので詳しく知りたい方は歴史辞典をお読みください)

こうやって見ると足満おじさんが権力者だったことが分かりますね。

足満おじさんの「満」ってどこから来てるの?

足満おじさんの「足」部分は足利からきていることは分かりますが、では「満」ってどこからなのか。

足満おじさんの本名が明かされるまで、足利義満がおじさんの正体なんじゃないかと予想された方は沢山いると思いますが、足利義輝が持っていた刀の名前や奥方、側室、子孫、等多岐にわたって調べましたが、該当する情報は見つかりませんでした

そのため純粋に作者が足利義満だと思わせるミスリードを図ったのではないかと考えられますが、足利義輝は征夷鄭将軍としての復権を目指していたので、室町時代の頂点ともいえる繁栄をもたらした足利義満に憧れていたのかもしれません。

足満おじさんの人物像

史実の足利義輝は武芸が達者で勇猛果敢に伝えられています。

義輝は、塚原卜伝(神代から伝わる鹿島の太刀という剣技を極めて、鹿島新當流という流派を立ち上げた剣聖)の直弟子で奥義・一之太刀を伝授されたと言われていて、ルイス・フロイスの著書の中にも「とても武勇に優れて、勇気のある人だった」と書かれていたり、政権の立て直しを図ろうとしたことから、豪胆な性格だった事は間違いないでしょう。

作中の足満おじさんも、静子に何かするならと物凄い形相をするので現代に転移してもその性格は変わらなかったようです。

足満おじさんが山中で倒れていた理由

足利義輝の時代は足利家の力がかなり衰えていた時期になり、そもそも足利家は領地らしい領地を持っていなかったのです。

後醍醐天皇の政権を倒した足利尊氏が、征夷大将軍に任命された時は、全国が直轄領になったのですが、足利家だけで直轄領の運営をしていくことはできないので、代理人をおきます。

この代理人には功績のあった武将をあてがう訳ですが、足利家からすると一時的に運営を任せたつもりだったものの、武将からすると褒賞として統治する土地を与えられたと勘違いしたのです。

その為、納めていた土地を武将たちは自分たちの土地だと主張しはじめ、足利家の直轄領が殆どなくなってしまい結果、直接の軍隊がなくなります。

征夷大将軍とは名ばかりで武将のご機嫌を取るというのが仕事のようにになっていて、そんな中、義輝は将軍の利権を押さえつけていた武将が亡くなると政権を建て直すべく精力的に力を付けようと動き、そして傀儡になってくれそうもない義輝を嫌った武将たちに攻め込まれて殺害されてしまうのです。

この時に現代にタイムスリップしたと考えられます。

現在の足満おじさんの心境

足利義輝の人生は波乱万丈で11歳で征夷大将軍就任を朝廷に認められるも、反対勢力により13歳で京都を追放されてしまい、その10日後に京都に戻ってこられたはいいのですが、翌年再び京都から追い出されてしまいます。

15歳で父が亡くなると父が建てた城を焼き払って更に遠くに亡命し、16歳で和睦を図るも破断、仕方なく反対勢力の暗殺を謀るもこれも失敗

追い打ちをかけるように、反対勢力に独自に反発していた幕府軍がこれに敗れ、その後反対勢力の首領が亡くなるまで肩身の狭い思いを29歳まで送ることになり、首領が亡くなり復権を目論むも30歳で討ち取られるという、凄まじい人生を送ってきたのですが、現代に飛ばされて平和な世の中を見ておじさんは穏やかな生活にさぞ癒された事でしょう。

そして、足利義輝が戦国時代から家康が平定するまでの礎になったのは確かな事実です。

義輝が征夷大将軍の復権に失敗したからこそ信長や家康が台頭してきたのであって、それが無ければ家康による国家統一はなされなかったでしょう。

それは日本の歴史を知ってしまった、足満おじさんも感じた事だと思います。

何より、おじさんは書物で自分の家族がどうなったか知ってしまったはずですし、きっと元の時代に戻っても待っている人がいないという事実を人知れず受け入れたに違いありません

それ故に、既に死んだ人間として静子の傍で、静子の行く末を見守りたかったのでしょう。

足満おじさんの正体と本名のまとめ

足満おじさんの正体は、室町幕府第13代征夷大将軍・足利義輝でした。

勢力争いに負けた義輝が現代にタイムスリップし、静子の家でお世話になっていた訳です。

500年近く先の世界に飛んでしまった為なのか、一度死んだはずだから記憶が無いのか、謎に包まれていますが、足満おじさんが天真爛漫な静子に癒されたのは間違いないでしょう。

今後、現代で知識をつけたおじさんの活躍が期待されます。

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