【本能寺が燃えるんじゃが】帰蝶(濃姫)は歴史改変の鍵?

織田信長の正室であり、傍若無人な信長にも甲斐甲斐しく尽くす心優しい女性が帰蝶こと濃姫です。

彼女は正史では「本能寺の変」の前には故人であり、本作でも物語初期では大した役割もなく、信長自身も用済みと認識していました。

しかし、物語が進むにつれて数々の謀反の先に到達する「本能寺の変」を回避するにはどうにも帰蝶の謎を解き明かさなければならないと信長は至るのです。

そこで今回は、

  1. 帰蝶(濃姫)のプロフィール
  2. 帰蝶(濃姫)と織田信長の関係
  3. 帰蝶(濃姫)と明智光秀の関係
  4. 帰蝶(濃姫)の謎

について紹介していきたいと思います。

帰蝶(濃姫)のプロフィール

帰蝶は美濃(現在の岐阜県)の戦国大名斎藤道三の娘であり、幼い頃に政略結婚で尾張の織田信長の正室になった女性です。

濃姫という呼称は正式名ではありませんが、絵本太閤記や武将感状記で「濃姫(のうひめ)」として登場する事から有名となり、美濃国から来た高貴な姫を省略して濃姫と呼ばれたと考えられています。

本作では世話焼きな性格かつ信長の天下布武を偏った思考で支える人物ですが、正史通り本能寺の変の頃には既に死亡しているようです。

帰蝶は信長が大好き

本作の帰蝶は信長の素敵な所を語り尽くせない程に信長に好意を寄せています。

外見や風格は勿論の事、家臣に下知する際の威風堂々たる様は山砕くかの如く気を発し、少し戸惑った時にふと見せる笑みは可愛らしくもあり、それでいて背中を掻こうとして手が届かない時は柱にずりずりとこすりつける無精な所なども賛美する特徴として挙げていました。

しかし、歴史改変後の信長の行動にはやや理解が追い付かない様子であり、奥州へ連れていかれた際には「戦にも政にも役に立たない女を何故同行させたのかその御心がわからない」と不安を零しています。

帰蝶と信長の関係と結婚初夜

帰蝶は26年前、天文18年3月尾張国那古野城にて当時織田信秀嫡男織田三郎信長と婚儀を終えて初夜を迎えようとしていました。

しかし、両家和睦の政略結婚は偽りであり、信長との縁談は斎藤家拡大の手段として和議の証に帰蝶を織田家に娶らせその夫を秘密裏に殺し弱体化を図る斎藤道三の計略だったのです。

当時の帰蝶が15歳にして出戻り二回のバツ二だったのは、過去に二度同じ計略をして嫁ぎ先の夫を殺害した為であり、一説で道三は帰蝶を利用し美濃国守護一門を暗殺されたと言われています。

道三の目的は完全なる美濃国の統括であり、強大な他国とも渡り合える尾張織田家掌握を目的とし、帰蝶は幼い頃からその役割を教え込まれた道具として結婚初夜当日に巻きで信長の暗殺に踏み切りました。

帰蝶を取り押さえる信長でしたが、その場で帰蝶を返り討ちにしても帰蝶の知らせが絶てば道三が即座に織田家殲滅に動くシナリオである為、信長は必死に帰蝶の説得に出ます。

脇差を持ち信長を殺害しようとする帰蝶に対し自分の有用さを訴える信長は苦し紛れに「この信長が天下を獲る者になる!!」と宣言すると、帰蝶は信長の言葉に感銘を受けたのか「それはちょっと新しいですね」と考え改めるのです。

そして、帰蝶は刃を下げると「三郎殿、私を天下人の妻にできますか?」と述べ、信長が承諾するのでした。

その為、信長が「天下布武」を諦めるような弱音を吐くと、帰蝶は信長が鳥肌を立てるような殺気を放ちます。

信長にとっての帰蝶は用無し

本作開始時点では、過去を繰り返す信長にとって帰蝶は既に用無しの存在でした。

その為、改変において帰蝶が障害となると考えた矢先に帰蝶の殺害も念頭に置きますが、本能寺の変において帰蝶の存在は信長の命に直結しない、また本能寺の変の頃には病没している為、野放しでも問題ないと考えていたのです。

しかし、後に帰蝶の存在が信長の歴史改変に深く関わっている事を知ります。

明智光秀の謀反の理由は帰蝶の死がきっかけ

とある刻では信長が光秀を四国に送った結果、明智光秀は西を制覇し畿内四道連合軍総大将になると、島津家は当主が島津義弘に置き換わり、お遥が帰蝶の侍女から兵に育っていました。

お遥に助けられた信長は光秀が謀反を起こす理由を知る為に光秀と対話すべく天正十年京に建てられた須弥城へ乗り込みます。

そして、光秀と対面した信長が真意を問うと邪魔が入って結論はお預けとなりますが、駆け付けたお遥に信長が心配する言葉を投げかけた所、光秀は「何故その娘に労いの言葉など掛けている。お前にとって兵とは、従者とは、道具ではなかったのか…。それが出来るなら何故、濃姫様には…」と怒りを露にするのです。

何故光秀の口から帰蝶の名前が出るのか理解出来ない信長ですが、光秀はかつて帰蝶からお遥が為したいと願う事が叶うように見守って力を貸して欲しいと頼まれた事を打ち明けると、今の信長がお遥を労うように、信長がほんの少しでも慈しむ心を向けていれば帰朝が孤独に死ぬ事は無かったと涙を流します。

何と、光秀が信長に殺意を向ける根源は帰蝶の死にあったのです。

信長はこの世界線でようやく光秀の謀反の根源に無価値と思っていた帰蝶が深く関わっていた事を知りました。

また、この世界戦でお遥が兵になったのは、織田家の危機に自分には何も出来ないと自負する帰蝶が信長の為に強くなろうとするお遥を光秀に預け、光秀が斎藤利三にお遥を当てたからです。

そして、お遥は帰蝶から「いつか私の分まで殿を守って遅おくれ…お遥」と頼まれており、その事は信長に話さないよう口止めをしていました。

その後、この刻ではお遥が信長の目の前で利三に敗北し、死にゆくお遥を目の当たりに信長が絶望の表情を浮かべると、光秀は大切な者が無残に引き裂かれる人の痛みを覚えた信長を見て満足して信長を始末する事も無く興味を失い放置します。

なお、光秀の謀反の理由は帰蝶の事は根源の一つであり、あくまでも日の本の為と述べていました。

信長は帰蝶の庇護を仄めかし光秀を懐柔

刻は再び天正三年の岐阜城へと戻ります。

信長は光秀との対話中に回帰すると、四国政策に向かわせる光秀に対し「四国土佐で長宗我部に仕え、織田家との関係を保つ事に徹せよ」と命を下し、軍資金等の援助も惜しまない事を約束しました。

そして、信長は態度と言葉足らずが本能寺の変へ繋がる失敗だと学び、光秀へ家中や畿内、将兵の事、更には帰蝶の事は案ずるなと語り掛けるのです。

実は光秀は10年の流浪に身を落とす以前、美濃国斎藤道山の家臣として生きていた事から帰蝶とは旧知の仲であり、恩義を重んじる性格から道山の娘である帰蝶を無碍に扱う信長への敵愾心は帰蝶の死を経過して謀反という形で実現したと信長は推測しました。

信長の推測通り、帰蝶の庇護を強調した事で光秀は四国土佐の仕事を凛として引き受けます。

帰蝶の謎

信長は歴史を繰り返す事で、

  • 明智光秀の殺意の根源が帰蝶の関係する
  • 明智光秀にお遥を託してお遥には口止めしていた

以上を知りました。

その為、本来美濃を手中に収め斎藤家が滅亡した時点で用済と思われた帰蝶が最早無関係ではなく歴史改変に向けての重要人物だと位置づけ、折を見て帰蝶の謎を解く事になります。

帰蝶は正史では天正6年に姿を消して死亡している

作中にて、どの刻でも帰蝶は病で死亡したと言われており、信長も正史では天正6年の中頃に帰蝶は忽然と姿を消したと記憶しています。

信長は織田家正室である帰蝶を探す為、数多を動員し各地を探索させますが、帰蝶が見つかったのは数ヵ月後、人も寄り付かない山中のあばら屋にて疫病に侵され痩せ細った姿でたった一人死んでいたのです。

未だ解明されていない帰蝶の末路ですが、信長は正史と天正十年の刻でも帰蝶が病で死んだ事で明智光秀が反旗を翻したと結論付け、帰蝶の病についても調べます。

帰蝶は新天正6年では政宗を庇い死亡している

信長が新たに飛んだ新天正10年、この時代でも明智光秀が反旗を翻していますが、今回の刻では松永久秀や徳川家康、加えて伊達家が味方についていました。

そんな中、やはり帰蝶は天正6年で既に故人となっているのです。

その理由は明智と上杉が同盟締結した天正6年に信長や伊達軍が戦で不在の折、上杉の間者が米沢で暴れると、苦し紛れに放った矢が伊達政宗に向かった所、帰蝶が身を挺して政宗を庇い代わりに矢を背中に受けてしまったというものでした。

帰蝶は亡くなる前に「あなたはとても優しい子。だからこそ強くなれるわ。大人になったら殿をどうか守ってね」と述べていたと政宗は語っており、この刻の政宗は帰蝶の想いに報いるべく伊達政宗と共に信長の近侍になったのです。

帰蝶は信長と同じく刻を繰り返していた

打倒明智光秀を据えて「川中島の戦い」で強敵上杉謙信に勝利した信長は、天正10年京を北に望む地下鳥羽にて織田率いる東軍と明智率いる西軍が相対し「天下分け目の決戦」を始めました。

そして、信長は刻を繰り返して知り得た情報から光秀に伝えたい事があると意気込み、燃え盛る本能寺にて光秀と相対しようと試みるのですが、何と既に光秀は自死しており、傍らには何故か帰蝶が佇んでいたのです。

この刻の帰蝶は天正6年を生き抜いて「天下分け目の決戦」時も安土に居ると信長は聞いていた為、帰蝶との思わぬ邂逅に驚愕し言葉を失います。

しかし、事情を聞くと、帰蝶が奥の間から現れた時には光秀は既に自刃の支度を済ませていたようで、帰蝶と相対すると最初こそ困惑の表情を浮かべながらもすぐに笑顔になり、帰蝶が「お疲れ様」と伝えると光秀は満ち足りたように腹を裂き自害したと説明しました。

帰蝶は逆賊明智光秀の死によって織田信長が天下布武を為したと安堵しますが、信長はこの場には光秀を逆賊として始末を付けに来たのではなく、何としても生きるように伝えに来たと釈明し、「これは断じて我が望む天下ではない!!」と余計な事をした帰蝶を叱るのです。

刹那、帰蝶は狂ったように雄叫びを上げると、何故自分が信長に責められるのか、何故自分が此処に居るのか、自分が何者なのかさえも分からないと錯乱します。

明らかな帰蝶の異様な姿に信長は狼狽えたように声を掛けますが、帰蝶は唐突に「…今、全てを思い出しました。私は繰り返していたのです」と信長と同じく何度も刻を繰り返していたと暴露するのです。

帰蝶が刻を繰り返していたのは全て信長の天下布武の為でしたが、今しがたそれすらも否定された帰蝶が常世が無くなるように念じると、世界は光に包まれて信長は再び刻を繰り返してしまいます。

次に信長は目覚めたのはこれまでよりも若い頃の刻ですが、同時に帰蝶が自分と同じように刻を繰り返していた事、更にはクマと同じ様に信長を過去に飛ばした事を確信し、帰蝶に関して更なる謎が生まれるのでした。

本能寺が燃えるんじゃがの帰蝶についてのまとめ

  1. 帰蝶(濃姫)は美濃(現在の岐阜県)の戦国大名斎藤道三の娘で、正史では本能寺の変の頃には既に死亡している
  2. 帰蝶は26年前(天文18年3月尾張国那古野城)に織田信長と政略結婚する
  3. 帰蝶は道三の計略で織田家弱体化を図る為に信長を暗殺しようとするが、信長の「この信長が天下を獲る者になる!!」という宣言が心に響き暗殺を取りやめた
  4. 明智光秀は美濃国斎藤道山の家臣だった為、帰蝶とは旧知の仲であり、信長へ向ける殺意の根源は信長が帰蝶を蔑ろにしていた事と帰蝶の死が一因している
  5. 帰蝶はどの刻でも天正6年で病没もしくは何らかの原因で死亡している
  6. 帰蝶は最新話で信長と同じく刻を繰り返していた事が判明

物語開始時では特に役割の見えなかった信長の正室である帰蝶(濃姫)でしたが、最新話では何と信長と同じく刻を繰り返していた事が判明しました。

それもただ繰り返すのではなく、クマと同じように任意で信長を過去に飛ばしていた為、帰蝶は自分の意志で飛ぶ事が出来るのか、クマのような存在が一緒にいるのか、更なる謎が湧いて出る事になったのです。

信長が本能寺の変を回避し天下布武を為すには帰蝶の謎を解き明かす事が最後の鍵になるようですね。

何度、時をくりかえしても本能寺が燃えるんじゃが!?
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天正10年、京・本能寺。停泊中の織田信長を家臣の明智光秀が襲撃した。 世に云う「本能寺の変」である。忠臣の裏切りにあい、天下統一を目の前にして非業の死を遂げた信長。 しかし気づくと、彼は「本能寺の変」より7年前に戻っていた! しかもそこには、裏切り者の光秀がいて…。