音柱宇随天元が遊郭の戦いの後、鬼殺隊を引退しましたが宇随天元には継子がいたのでしょうか?
今回は、
- 宇随天元の継子は一体誰だったのか
- 継子とは一体何者なのか
- それぞれの柱に継子は存在したのか
について詳しく調べていきました。
柱になるとなぜか継子がモテる
継子とは、柱に認められた力を持った次期柱とされる隊士のことです。
継子は柱と一緒に行動し、柱から直接指導を受けることが出来る唯一の存在で、呼吸は柱と同じ柱であることが望ましいとされていますが、呼吸が違っていても継子として育てることは出来ます。
この情報をもとに柱達の継子は誰になるのかを見ていきましょう。
音柱・宇随天元の継子と各柱達の継子
音柱の宇随天元の継子が、我妻善逸ではないか?と言われた理由は音にあります。
天元も、戦いの中で小さな音にも反応するほど耳が良く、遊郭の戦いでは上階にいる人間が逃げたかどうかを音で確認するという場面がありました。
この動作は善逸の音で相手の性格や気持ち、感情を読み取るということと近く、それが宇随天元の継子は善逸だと言われた理由でしょう。
善逸の雷の呼吸の派生が宇随天元の音の呼吸という繋がりもそういう噂を生んだのではないかと思われます。
実際は音柱の宇随天元には継子がおらずどの場面も嫁3人と行動を共にしている姿ばかりでした。
元忍で毒への耐性も持つ天元に匹敵するほどの実力を持つ隊士が現れなかったのも、継子がいなかった理由かもしれません。
富岡義勇の継子
水柱である富岡義勇には継子がいませんでした。
義勇の中では炭治郎が継子に値する存在だったようですが、炭治郎がヒノカミ神楽を使い始めたことから水の呼吸の継子にはならなかったと予想されます。
さらに、無限列車の中で煉獄杏寿郎から「俺の継子にしてやろう!」と直々に言われていたことと、その後炭治郎の中での煉獄杏寿郎の存在の大きさから炭治郎の中では杏寿郎が自分を鍛えてくれる柱だったのではないでしょうか。
炎柱・煉獄杏寿郎の継子
炎柱の煉獄杏寿郎の継子は、のちに恋柱となった甘露寺蜜璃です。
面倒見の良い杏寿郎は能力があると認めるものは呼吸が違っても継子にして育てていたのでしょう。
これが、呼吸が違っても継子に出来ると言われている理由です。
蟲柱・胡蝶しのぶの継子
毒使いの蟲柱、胡蝶しのぶの継子は栗花落カナヲです。
遊郭編に向かう前に宇随天元が「継子でなければ胡蝶の許可がいらない」と言っていることで判明しました。
この時、蝶屋敷の女の子たちを戦いに連れていこうとした天元が、カナヲだけは連れて行こうとしなかったのでカナヲがしのぶの継子だったことが分かります。
蛇柱・伊黒小芭内の継子
蛇柱の伊黒小芭内は継子を持っていませんでした。
独特の過去で、蛇鬼から逃れてきた小芭内の呼吸を告げるものはなかなか現れなかったのかもしれません。
ただ小芭内は元柱の煉獄槇寿郎に助けられた経緯があり、槇寿郎の継子だったのではないかと言われています。
恋柱・甘露寺蜜璃の継子
恋柱の甘露寺蜜璃にも継子は存在しません。
行動を共にする隊士もおらず、刀鍛冶の里に湯治に来ていた時も一人で里を訪れていました。
しいて言えば禰豆子がすごく蜜璃に懐いていたので、禰豆子が隊士だったら蜜璃の継子だったかもしれませんね。
風柱・不死川実弥の継子
風柱の不死川実弥には弟の玄弥がいましたが、継子ではありませんでした。
むしろ、玄弥が鬼殺隊に入隊したことを怒っていた実弥が玄弥の稽古をつけることはなかったでしょう。
柱稽古の時も実弥の稽古はかなり過酷で、継子となって実弥についてこれたものはほとんどいませんでした。
霞柱・時透無一郎の継子
そもそも、無一郎自身が14歳という若さであり刀を握って2か月で柱になってしまったという実力の持ち主。
人と関わることが好きではない無一郎が後輩を進んで育てるということはなかったかもしれません。
柱稽古の時もよくできる炭治郎にはニコニコしていましたが、出来の悪い隊士への態度はかなり冷たく厳しいものでした。
岩柱・悲鳴與行冥の継子
岩柱の悲鳴與行冥は、最年長で鬼殺隊歴が長く、お館様からもかなり信頼されている存在でした。
そんな行冥の継子は、明確にはされていませんが胡蝶カナエが有力でしょう。
胡蝶姉妹が鬼に襲われたときに助けてくれたのが行冥で、身寄りのなくなった姉妹を助けていたと考えると胡蝶カナエ、しのぶを育てていたのではないかと考えられます。
ちなみに、不死川玄弥は行冥の弟子として行冥の側で修行をしてはいましたが継子ではありませんでした。
その理由は、玄弥は呼吸が使えなかったからです。
行冥は玄弥が呼吸を使えないこと、鬼を食べている事も知った上で面倒を見ていたんですね。
まとめ
音柱宇随天元には、継子はいませんでした。
唯一、天元の継子では?と思われた我妻善逸も天元の継子ではなく、むしろ鳴柱の桑島慈悟郎の継子の可能性の方が高くなります。
慈悟郎が存命のうちに継子レベルの訓練は受けていなかったので、はっきりと慈悟郎の継子というわけではありませんでしたが、生死の境をさまよった時にも、「じいちゃんが生きているうちに柱になりたかった」と慈悟郎に言っていることから少なくとも天元の継子でなかったことがわかります。
宇随天元が継子を持っていたとしたら、剣技だけでなく派手さも求められてなかなか大変な修行になったかもしれませんね。